名古屋地方裁判所 平成4年(ワ)1664号 判決 1997年7月16日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
伊神喜弘
被告
豊田通商株式会社
右代表者代表取締役
野上啓二
右訴訟代理人弁護士
寺澤弘
同
柴田義朗
同
高橋太郎
同
寺本ますみ
右訴訟復代理人弁護士
木本寛
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 原告が被告の従業員たる地位にあることを確認する。
二 被告は、原告に対し、金一六八三万七三三三円及びこれに対する平成四年六月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、金一七三九万八八〇〇円及びこれに対する平成六年六月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、使用者である被告から解雇の意思表示を受けた従業員の原告が、右解雇は無効、違法であるとして、被告に対し、雇用契約上の地位の確認、別紙「未払い賃金計算書」に記載の賃金一一八三万七三三三円及び別紙「未払い賃金計算書(その2)」に記載の賃金一七三九万八八〇〇円の支払、慰謝料三〇〇万円の支払並びに弁護士費用二〇〇万円の支払を求めた事案である。
一 雇用契約の締結から解雇通告に至るまでの経緯(以下「本件経緯」という。)
1 雇用契約の締結及びその後の職歴
原告は、昭和四七年三月に大学を卒業後、同年四月一日、いわゆる総合商社である被告と雇用契約を締結し、被告の浜松支店、大阪支店での勤務を経て、昭和五二年三月一日から名古屋本社に所属し、企画調査室に配置された後、昭和五六年三月一日に電算部に配置転換され、豊田ビル九一一号室で専ら東芝パソピアを使用して予測貸借対照表及び予測損益計算書の作成業務等に従事した(弁論の全趣旨)。
2 守山荘病院への通院
原告は、昭和五八年七月ころより同じ職場の北川紀子に好意を寄せ、手紙や電話で執拗に自らの思いを伝え続けていたところ、同女側がこれに困惑して警察に相談するようになったことから、上司に精神科の受診を勧められ、昭和五九年二月二七日に守山荘病院で診察を受け、その後、同月二八日、同年三月六日、同月一二日、同月二六日、同年四月九日と同病院に通院した(甲三、四の一、甲五、六の一、原告本人)。
3 業務命令違反
(一) 被告は、昭和五九年七月四日、電算部を独立させて、豊通情報システム株式会社(以下「TIC」という。)を設立し、電算部に所属していた社員の大部分をTICに出向させたが、原告については出向させず、総務部付に配置転換し、豊田ビル八五四号室の総務部内に原告の机を設け、そこで勤務するようにとの業務命令を出したが、原告はこれに従わず従前の電算部の勤務場所である九一一号室の一角で勤務し続けた(乙五六、証人林克郎)。
(二) また、被告は、昭和六〇年六月上旬ころ、その年の株主総会に特殊株主が乗り込んで来るおそれがあるとの情報が入ったために、九一一号室を特殊株主対策用の会議室に改装することを決め、昭和六〇年六月一九日、宮沢弘人総務部管財課長が九一一号室の一角で勤務し続けていた原告に対し、会議室が足りないので九一一号室から七一九号室に移動するようにと記載された連絡書を手渡したが、原告は右連絡書を破り捨てその指示に従わなかった(乙一八の一、二、乙二〇、五六、証人林克郎)。
4 暴行
(一) 昭和六〇年六月二一日、豊田ビル九一一号室の改装工事の準備のため、竹中工務店の担当者が同室内を見ていたところ、原告は突然同人のネクタイをつかんで帰れと怒鳴るなどした(甲一、乙二〇、五六、証人林克郎)。
(二) また、原告は、同月二四日午前八時五分ころ、九一一号室に置いていた原告使用のパソピア等が総務部の八五四号室の原告の机の上に移動されていることに気付くや、これを元へ戻そうとし、九一一号室近くの九二一号室に行き、TICの職員西岡正樹に対し、荷物を運ぶのを手伝えと指示したが、西岡がこれを断ったために、その顔面等を拳で殴り、同人に全治約一週間の頭部顔面打撲擦過創等の傷害を負わせ、さらに、傍らにいたコンピューターサービス株式会社の職員花野健一に対しても近くにあった傘を持って殴りかかり、同人に全治約五日間の後頭部打撲傷等の傷害を負わせた(乙一九、二一、二三の一、二、乙五六)。
(三) また、原告は、同日午前九時五分ころ、八五五号室へ行き、着席中の宮沢課長に対し、突然拳で殴りかかり、同人に加療約一週間の左前額部挫傷の傷害を負わせた(乙二〇、二三の三、乙二四の三、乙五六)。
(四) さらに、原告は、同日午後三時ころ九一二号室において、電話をしていたTICの職員藤井晃司に対し、突然その後頭部を壁掛け用の寒暖計で殴り、同人に頭部外傷Ⅰ型の傷害を負わせた(乙一九、二二、二三の四、乙二六の一、二、乙五六)。
5 松沢病院精神科への入院
(一) 昭和六〇年一一月の初旬、原告の弟である甲野次郎(以下「次郎」という。)が結婚し、原告もその結婚式に出席したが、その後一週間位してから、原告は、「弟の嫁を取る。」などと言い出し、東京に住んでいる次郎の家に頻繁に電話をするようになり、同月一五日には、東京に行って次郎の家の窓ガラスを壊して中に入り込むということがあったために、次郎は翌一六日に原告を東京都立松沢病院精神科に入院させ、原告は同年一二月二一日まで同病院に入院した(甲三、五)。
(二) 原告に対する同病院入院時の診断は、精神分裂病の疑いであったが、確定診断は、妄想性人格障害又は人格変化と単純型分裂病であった。もっとも、同病院医師が作成した昭和六〇年一二月一八日付け診断書では、病名は神経衰弱状態とされている(甲三、五、乙四)。
(三) 原告の同病院入院期間中については、まず有給休暇の残り分があてられ、その不足分は私傷病による欠勤として取り扱われた(乙五六、証人林克郎)。
(四) なお、次郎は、東京家庭裁判所に対し、原告について保護義務者選任を申し立て、昭和六〇年一二月一一日、次郎を原告の保護義務者として選任する旨の審判がなされた(甲四の一、甲六の一)。
6 守山荘への入院
(一) 原告は、前記北川紀子のほか他社OLの佐藤知子にも好意を抱き、この両名に対し、頻繁に電話をかけるなどして執拗に言い寄り続けたため、昭和六一年七月一〇日と同月一八日に愛知県警住民コーナーに呼び出され、以後両名に対して電話をするなどしたときは事件として扱うとの警告を受けた(乙三五、三六、五六)。
(二) そこで、次郎は、同年七月一九日、原告を守山荘病院に入院させ、以後原告は昭和六二年九月五日まで入院した(甲四の一、甲六の一)。
(三) 原告の病名ついては、同病院医師が作成した昭和六一年九月二六日付け、同年一一月一日付け、昭和六二年一月一日付け各診断書では心因性反応の疑いと記載され、同年九月二日付け診断書では精神衰弱と記載されているが、同病院の診療録には暫定診断として神経症、確定診断として妄想性人格障害と記載されている(甲四の一、甲六の一、乙五ないし八)。
(四) 昭和六一年一一月一〇日、次郎と林克郎総務部次長(以下「林次長」という。)が同病院を訪問したところ、院長から被告に対し、原告について、昼間は被告に通勤し夜間は病院で過ごすというナイトホスピタルを受け入れてほしいとの要請があったので、被告は、これを受け入れることとし、同月二五日ころ、「私の身上に関する事柄について、不都合な事実が発見せられたときおよび会社業務遂行上支障を来たすおそれありと会社にて判断される事実が発見されたときは、会社の指示に従い、たとえ解雇されても異議を申立てません。」などという内容が書かれた誓約書に、原告と次郎に署名、押印させ、さらに同日ころ、総務部の八五四号室で勤務すること、家族用社宅から退去することを約束する書面に、原告に押印させた(甲四の一、甲六の一、乙一〇、一二、五六)。
(五) かくして、昭和六二年三月一九日から原告のナイトホスピタルが開始され、原告は、次の①から④のとおりの時間帯で被告の総務課に勤務し、この間経済書の感想文の作成、ワープロの練習、ワープロによる書類の作成などを行っていた(乙五六)。
① 昭和六二年三月一九日から同年七月八日まで
午前一〇時から午後三時三〇分まで
② 昭和六二年七月九日から同年八月二三日まで
午前一〇時から午後四時三〇分まで
③ 昭和六二年八月二四日及び同月二五日
午前九時から午後五時二五分まで
④ 昭和六二年八月二六日から同年九月五日まで
午前九時から午後五時四五分まで(通常勤務に同じ。)
(六) なお、同病院医師の昭和六二年九月二日付け診断書には、病名として「精神衰弱」と記載され、さらに「頭書の疾患のため入院加療中の所、殆ど全快状態となったので来る昭和六二年九月七日より就業可能と認める。」と記載されている(甲四の一、甲六の一、乙八)。
7 無銭飲食
原告は、守山荘病院を退院後、通院治療を受けながら、被告において、海外からのテレックスの翻訳、手書原稿のワープロによる清書、お中元リストの最終確認作業、海外事務所の什器備品データ及び海外住宅の家具備品データのパソコンへのインプット等の業務をきちんとこなしていたが、昭和六二年一一月一三日、地下街喫茶店「ベルヘラルド」で昼食をとった後、お金を払わずにだまって店をでようとして、同店の店員に取り押さえられるという無銭飲食事件を犯し、中村警察署メルサ内派出所につき出されたため、林次長が同派出所に赴き、原告の身柄を引き取った(甲一、乙三七、三八、五六)。
8 業務命令違反
原告は、昭和六三年一〇月ころまで、海外管財物件データのパソコンへのインプット作業を行っていたが、そのころからインプット作業を行わないようになってしまい、林次長が、各種申請書類のワープロによる清書事務を行うように指示しても、その事務を全く行わなかった(乙五六)。
9 暴行
平成元年三月一日、被告において、総務部管財課にIBM端末機を置くスペースを確保するため、同管財課の末席に置かれていたパソピアを設計室に移動した。原告は、翌二日午前八時五〇分ころ、出勤してきた杉山勝久総務部管財課長に対し、「俺の前に使っていたパソピアはどうした。」と尋ねたが、同課長が「会社の資産でお前の物でないから答える必要はない。」と答えると、大声で「うるさい。どこの業者に頼んで今どこにあるんだ。」と同課長につめよるなどした。そして、原告は、同日午前八時五五分ころ、豊田ビル八六四号室において、同課長に対し、「何で返事しないんだ。どこへやった。」と大声でわめき、ガラス製灰皿(直径一五〜二〇センチメートル)を二、三回振り上げ、次いで、拳で同課長の左目の付近を殴り、通院加療約三週間の顔面打撲傷の傷害を負わせた(乙三九、四〇、四一の一ないし四)。
10 業務妨害、物品持出
(一) 原告は、平成元年六月七日、総務部業務管理課に保管されていたお中元データ及びプログラムを収めたディスケット三枚を持ち去り(そのうちの二枚は原告の机の引き出しから発見された。)、同課の一台のパソコンの基本プログラムを破壊し、タクシー回数券チェックのためのディスケット一枚をパソコンから抜き取り、紛失させてしまった(甲一、乙四二の三)。
(二) 原告は、同月一九日、総務部業務管理課に設置されたパソコンのハードディスクに保存してあるすべてのプログラムデータを破壊し、総務部庶務課に設置されたパソコンのハードディスクに保存してあるすべてのプログラムデータを破壊し、総務部パソコンコーナーにあるパソコンの各システム間の接続をはずしてしまった(乙四二の四、乙五六)。
(三) 原告は、同月二〇日、総務部業務管理課に設置してあったパソコンのシステム装置一台を豊田ビル七七七号室に隠し(平成二年春ころまで発見されなかった。)、総務部パソコンコーナーにあるパソコンのシステム装置一台を自宅に持ち帰って、パソコン二台を使用不能にした(甲一、乙四二の四)。
11 原告の親族
平成元年三月二日から同年六月二〇日までに原告が引き起こした暴行や業務妨害事件について、被告が次郎に連絡したところ、同二〇日、原告の姉である乙川花子(以下「花子」という。)が被告を訪れたため、林次長は、花子に対し、原告はまだ病気が治っていないように思われるので、専門医の治療を受けるか、依願退職をするように説得してもらいたいと依頼したが、翌二一日、花子は、原告はそれらの行為について反省していないし、治療を受ける気はないと言っているので、これ以上何ともすることができないと回答してきた(乙四五、五六、証人林克郎)。
また、林次長は、同年九月七日、東京で次郎に会い、再び右暴行や業務妨害事件について説明したところ、次郎から姉の花子に相談してほしいと言われたため、同月一八日に兵庫県川西市で花子に会い、前同様の依頼をしたが、翌一九日になって花子から原告のことからは手を引くので弟の次郎に話しをしてほしいと言われた(乙五六、五八)。
そして結局、同年九月二一日、次郎が被告を訪れ、「原告自身が病気と思っていないので、守山荘病院で治療を受けさせることはできません。」と言って帰って行った(乙五六、五八)。
12 暴行
原告は、平成二年六月一日午後四時五〇分ころ、石田一男総務部長が林次長とともに被告の子会社の常務取締役と面談中、石田部長の態度等に激怒し、その頭上の道路側の窓ガラスめがけて自分の湯呑み茶碗を投げつけた(甲二、乙四六の一ないし三、五六、五七、証人林克郎、同石田一男)。
13 業務命令違反
(一) 石田部長は、平成二年六月八日、原告に対し、「窓ガラスに湯飲みを投げつけた行為は極めて悪質であり、当分の間、自宅謹慎を命ずる。追って、会社より沙汰をするまで会社の施設への立入りを一切禁ずる。」という内容の業務命令(以下「本件業務命令」という。)を出し、同日午後五時四五分ころ、原告に対し右の内容が記載された業務命令書を読み聞かせ、さらに同書面を手渡そうとしたが、原告は「お断りします。」と答え、同書面を受け取らずに帰ってしまった(甲二、乙四七、五六、五七、証人林克郎、証人石田一男)。
(二) 原告は、その次の開業日である同月一一日午前七時五二分ころ、本件業務命令に違反して出社し、林次長の自宅に帰るようにとの説得に応じず、さらに石田部長が業務命令書を自宅にもって帰り、冷静に反省してほしい、弟の次郎に相談してほしいなどと説得したにもかかわらず、これに応じようとせず、午後二時ころには豊田ビル八階の男子用トイレに入り、午後五時四五分ころまでそのままトイレに居続けた(甲二、乙五六、五七、証人石田一男)。
(三) 原告は、翌一二日午前七時五五分ころ、本件業務命令に違反して出社し、林次長が本件業務命令を守って自宅に帰るように説得してもこれに応じず、豊田ビル八階の男子用トイレに入り、そのまま出て来なくなってしまった(乙五六)。
14 解雇通告
(一) 黒野紀好人事部長(以下「黒野部長」という。)が、平成二年六月一二日の昼食時に、総務部、人事部及び保険第一部ないし第三部の担当である竹中良巳専務取締役(以下「竹中専務」という。)に前日以降の経過を説明し、原告の解雇の決裁を仰いだところ、竹中専務において原告の解雇を決裁したので、被告は原告に対して退職を命ずる旨の解雇通告書を作成した(乙四九、五八、六〇、証人竹中良巳)。
(二) 同日午後二時ころ、林次長が原告を豊田ビル八階の男子用トイレに呼びに行き、八六四号室において黒野部長が原告に対し退職を命ずるとの解雇通告書を読み上げ、解雇予告手当を支払って解雇する旨を通告し、解雇通告書を渡そうとしたが、原告は、これを受け取らず、またも男子用トイレの中に入って行った(乙四九、五六、五八)。
(三) そこで念のために、被告は、原告に対し、同日、原告の銀行預金口座に解雇予告手当金を振り込み、解雇通告書を発送(翌一三日送達)して、改めて解雇通告(以下「本件解雇」という。)をした(乙五二の一、二)。
(四) なお、男子用トイレに入り続けていた原告は、同日午後五時四五分ころ、トイレから出て帰宅した(乙五六)。
15 解雇通告後の状況
(一) 平成二年七月四日、原告と次郎が被告を訪れ、次郎から林次長に対し、竹中専務から直接解雇理由を説明してもらえないか、そうすれば原告も解雇を納得すると思うという話しがあったので、竹中専務は、右説明することに同意し、次郎の立会いのもとで、原告に対し、甲野太郎社員事件状況書(乙四二の一)を示し、原告の行為が就業規則に違反しており解雇事由に当たることを説明するとともに、退職金の係数の説明を行った(乙四二の一、乙五六、証人竹中良巳)。
(二) 原告は、同日、川瀬博司人事部次長に対し、身分証明書、健康保険証及びネームプレートを返却し、健康保険については二か月分の保険料を支払って任意継続の手続をとった(乙五六、五八)。
16 被告の就業規則
なお、被告の就業規則においては、解雇ないし退職に関して、次のような定めがある(乙一)。
(一) 解雇について
第一六条 次の各号に該当する場合は、解雇する。
① 本規則六〇条による解雇に該当した場合
第六〇条 次の各号の一に該当する場合は懲戒解雇する。ただし、情状により諭旨解雇または譴責に止めることがある。
⑧ 前条各号に該当し情状の特に重い場合
第五九条 次の各号の一に該当する場合は、譴責する。ただし、情状酌量の余地があるか、または改悛の情が明らかな場合は戒告に止める。
③ 素行不良で風紀秩序を乱しまたは会社の名誉を失墜させた場合
⑤ 業務上の命令に服従しない場合
⑥ 役員、職員、会社関係者に暴行、脅迫を加えまたは故意に会社の業務を妨げた場合
⑨ 会社の許可を受けないで会社の金銭物品を融通もしくは持出した場合
(二) 退職について
第一九条 職員が次の各号の一に該当した場合は、該当の当日をもって退職とする。
④ 精神または身体の障害により業務に大いなる支障を生ずると会社が判定したとき
二 主な争点
本件の主な争点は、本件解雇が無効、違法であるか否かである。
1 被告の主張
(一) 就業規則一六条一号に基づく解雇
原告は、昭和五九年七月ころから平成二年六月ころまでの間、業務命令違反(本件経緯3、8、13、就業規則五九条五号該当)、暴行(同経緯4、9、12、同条三号、六号該当)、無銭飲食(同経緯7、同条三号該当)、業務妨害、物品持出(同経緯10、同条六号、九号該当)など、就業規則五九条に該当する行為を繰り返しており、これらを総合すれば、原告には懲戒解雇又は普通解雇を定める就業規則六〇条八号の「前条各号に該当し情状の特に重い場合」に該当する事由が存し、ひいては就業規則一六条一号の普通解雇事由が存するから、本件解雇は同規定に基づくものとして有効である。
(二) 就業規則一九条一項四号に基づく解雇
原告は、とくに昭和六二年一一月ころからは、平然と無銭飲食(本件経緯7)をし、さらに、業務命令違反(同経緯8)、暴行(同経緯9、12)などを繰り返しながら、自らの行為について、違法性の認識はもとより、反社会性、反道徳性の認識すらもたないばかりか、平成二年六月一二日には、業務命令に違反して出社したうえ被告本社のトイレで籠城を続ける(同経緯13)という奇異な行為に及んでいるのであって、原告には普通解雇を定める就業規則一九条一項四号の「精神または身体の障害により業務に大いなる支障を生ずると会社が判定したとき」に該当する事由が存するから、本件解雇は同規定に基づくものとしても有効である。
2 原告の主張
(一) 原告について解雇されるべき根拠はない。
(1) 就業規則一六条一号に基づく解雇について
① 就業規則一六条一号は、就業規則六〇条八号による解雇に該当する場合、すなわち就業規則五九条各号に該当し情状の特に重い場合を解雇事由とするが、就業規則五九条は懲戒処分について定めているのであるから、同条に該当するというためには当該行為が懲戒処分の対象となるものでなければならない。ところが、被告が本件解雇の事由として主張する原告の行為は、外形的には就業規則五九条各号に該当するとしても、原告の精神疾患によって惹起された可能性があり、病気の症状の一つと考えられるべきものであるので、それらは、およそ懲戒処分の対象にはなり得ず、就業規則五九条各号に該当しない。したがって、原告の右行為は就業規則一六条一号の解雇事由に該当しない。
② また、就業規則一六条一号(就業規則六〇条八号、五九条各号)の他に、就業規則一九条一項四号が「精神または身体の障害により業務に大いなる支障が生ずると会社が判定したとき」を解雇事由としていることからすると、精神疾患によって惹起された行為については、それが外形的には就業規則五九条各号に該当するとしても、専ら就業規則一九条一項四号による解雇の問題として処理すべきであって、就業規則六〇条八号、五九条各号を適用することはできない。そうでないと、就業規則一九条一項四号の規定が潜脱されることになり、不当だからである。したがって、被告が本件解雇の事由として主張する原告の行為は、精神疾患によって惹起された可能性のあるものである以上、就業規則一六条一号の解雇事由に該当しない。
③ 就業規則一六条一号に基づく解雇において、懲戒解雇事由に該当することを理由として普通解雇をする場合には、懲戒解雇に必要とされる手続を履践することが必要であるが、原告の解雇にあたり、被告は懲戒解雇に必要とされる手続を履践していないのであるから、同規定に基づく本件解雇には重大な手続的瑕疵がある。
(2) 就業規則一九条一項四号に基づく解雇について
① 精神疾患が疑われる従業員については、被告において、まずその者を治療ルートに乗せた上、就業規則が規定する所定日数の私傷病欠勤及び就業規則が規定する所定の休職という過程を経させるべき義務がある。就業規則一九条一項四号は、右の扱いをすることができない事情がある場合に、初めてこれを適用し得るものである。したがって、精神疾患の可能性のある原告に対し、私傷病欠勤及び休職の過程を経ずして、いきなり同規定に基づいて解雇をすることはできない。
② また、就業規則一九条一項四号の「精神または身体の障害により業務に大いなる支障が生ずる」場合に該当するというためには、専門医の診断を経ることが必要であるところ、被告が本件解雇の事由として主張する原告の行為について、専門医の診断はなされていないから、これをもって就業規則一九条一項四号所定の事由に該当するということはできない。
(二) 仮に、就業規則一六条一号又は就業規則一九条一項四号に基づく解雇に理由があるとしても、被告は、原告の行為が精神疾患による可能性があると認識しながら、本件解雇にあたって専門医の診断を経ていないこと、被告が本件解雇を決意した直接のきっかけは、原告が自宅謹慎の本件業務命令に違反して出社したことにあるが、本件業務命令は、就業規則上の根拠を持たないものであるうえ、自宅謹慎の期間を付さず原告の地位を著しく不安定にするものであるから、それ自体が違法であること、本件解雇は、被告においてわずか一時間位で決裁したものであり、原告について解雇事由、解雇手続が吟味されたとは思われないこと、被告はその規模から考えて当然具備すべき精神健康管理についての衛生管理体制を欠如していたことによれば、本件解雇は解雇権の濫用である。
(三) したがって、本件解雇は無効、違法である。
第三 争点に対する判断
一 本件経緯に掲記の原告の次の行為(以下それらの行為を総称して「本件行為」という。)は、以下のとおり、就業規則五九条に該当する。
1 本件経緯3、8、13の業務命令違反は、就業規則五九条五号に該当する。
原告は、同経緯13の業務命令違反について、本件業務命令は就業規則上の根拠を持たないものであるうえ自宅謹慎の期間を付さず原告の地位を著しく不安定にするものであるから違法である旨主張するが、業務命令権は、労働契約により使用者が有する労務指揮権に基づくものであるので、特に就業規則上の根拠が必要なものではなく、また、業務命令の内容も、当分の間自宅謹慎を命ずるというもので、原告の行状等に照らすと、やむを得ない措置というべきであるから、本件業務命令は違法ではない。
2 本件経緯4、9、12の暴行は、就業規則五九条三号、六号に該当する。
原告は、同経緯4(一)の暴行について、「原告が仕事をしていると、突然なんの断りもなしに、いつも会議室などを設営している連中が、原告の周りで測量などを始め仕事のじゃまになるので、なにをしようとするのか、また仕事のじゃまになるので帰ってくれるように言ったのですが、全然原告の話に耳を貸そうとしないので、原告が怒ったのは第三者からみてもごく当然のことであると思います。」などと弁解する(甲一)が、原告は約一年前には豊田ビル九一一号室を出て八四五号室で勤務するようにとの業務命令を受けていたばかりか、当該事件日の数日前にも、会議室が足りないので七一九号室に移動するようにと記載された連絡書を手渡されていたことからすれば、原告の右暴行について、その動機に特に酌むべきものがあるとはいえない。
また、原告は、同経緯4(二)の暴行について、「西岡、花野の両名が九一一号室のカギを持っていないといって渡さず、原告は西岡、花野の両名が林次長からの指示によって故意にカギの引渡を拒絶したのであろうと思い、その事を追及したが答えず、さらにそのときには西岡、花野の両名と原告との信頼関係は完全に崩れていたため、こぜり合いとなったものです。」などと弁解する(甲一)が、仮にそのような事実があったとしても、前記のとおり原告は九一一号室を出るようにとの業務命令を受け、同室のカギを要求できる立場にはなかったのであるから、原告の弁解は右暴行を何ら正当化できるものではない。
また、原告は、同経緯4(三)の暴行について、「昭和五九年七月四日ころの一方的かつ突然の総務部への配転辞令以降、宮沢課長のとった原告に対する仕打ちに対して、怒りがおさえきれずなしたものです。」などと弁解する(甲一)が、宮沢課長が業務命令を守らせようとする以外に原告にいやがらせなどの仕打ちをしたことを認めるに足りる証拠はないし、たとえ原告において右配転辞令に不満であったとしても、そのようなことから暴行を加えることが許されるものではないことはいうまでもない。
また、原告は、同経緯9の暴行について、「原告に対して一言の断りもなしに林次長の命に盲従し、パソピアを処分してしまうなどということは言語道断なことであり、そうした怒りのため、拳骨で杉山課長の顔面を殴ったのです。」などと弁解する(甲一)が、仮にパソピアの処分について被告の対応に不十分な点があったとしても、そのことによって右暴行が正当化されるものではない。
さらに、原告は、同経緯12の暴行について、「石田部長には便宜を業者に強要するなど、目にあまる職権濫用の事実があったために、石田部長に対する怒りが頂点に達したが、石田部長個人を傷つけてはならないと思い、窓に湯飲みを投げつけるという行為により抗議の態度を示したのです。」などと弁解する(甲二)が、石田部長に職権濫用等の事実があることを認めるに足りる証拠はなく、右暴行の動機において酌むべきものがあるとはいえない。
3 本件経緯7の無銭飲食は、就業規則五九条三号に該当する。
原告は、この無銭飲食について、「ナイトホスピタル終了後、なお守山荘病院に通院を強いられ、このような病院経営の絶好の材料にされたことに対する憤りのやり場所がなく、それがたまたまベルヘラルドでの無銭飲食という形で爆発したのです。」などと弁解する(甲一)が、原告が守山荘病院での治療経過に不満を持っていたとしても、それと無銭飲食をすることは全く別問題であり、原告の弁解は一方的な自己弁護というほかない。
4 本件経緯10の業務妨害又は物品持出は、就業規則五九条六号又は九号に該当する。
原告は、同経緯10の業務妨害について、「どうしても、IBMのOS2の講習会に参加できるようTICにかけ合ってもらえないのであれば、業務管理課のお中元リストのデータを消さざるを得ないが、それでもいいんだな、ということでデータの消去に踏み切らざるを得なかったのです。」などと弁解する(甲一)が、講習会に誰を参加させるかということは被告が決定することであって、原告においてその決定に不満であるからといって、右データの消去等の業務妨害を行うことが許されるものではない。
また、原告は、同経緯10(二)の業務妨害について、「林次長があくまで原告と対立する姿勢を崩そうとしなかったので、原告はシステムプログラムの一部を消去し、端末が立ち上がることができないようにした。」などと弁解する(甲一)が、原告が、林次長の対応に不満を持っていたとしても、プログラムデータの破壊等の業務妨害を行うことが許されるものではない。
さらに、原告は、同経緯10(三)の業務妨害、物品持出について、「その時にはすでに、原告と総務部、TICとのイタチごっこになっていた。当時の原告と林次長とは泥沼的な際限のない争いの状況にあった。」などと弁解する(甲一)が、原告の弁解するような事情が、パソコンのシステム装置を隠すという業務妨害を行うことを正当化するものでないことは明らかである。
二 以上によると、原告は、昭和五九年七月ころから平成二年六月ころまでの間、就業規則五九条三号、五号、六号、九号、に該当する行為を繰り返しており、これらを総合的に考慮すれば、原告には懲戒解雇又は普通解雇を定める就業規則六〇条八号の「前条各号に該当し情状の特に重い場合」に該当する事由が存し、ひいては就業規則一六条一号の普通解雇事由が存するものと認められるから、本件解雇は同規定に基づくものとして有効である。
三 原告は、前記第二の二の2に記載のとおり、本件解雇は無効、違法であると主張するので順次検討する。
1 解雇の根拠について
(一) 原告は、本件行為は原告の精神疾患によって惹起された可能性があり、病気の症状の一つと考えられるべきものであるので、それらは、およそ懲戒処分の対象にはなり得ず、就業規則五九条各号に該当しない旨主張する。
なるほど、原告の通院歴、入院歴、及び病院での診断結果(本件経緯2、5、6)等によれば、本件行為が原告の精神疾患によって惹起された可能性のあることは、原告主張のとおりである。
しかし、精神疾患によって惹起された可能性がある行為であっても、事理弁識能力を有する者によるものである以上、懲戒処分について定めた就業規則の規定の適用を受けるというべきであるところ、原告の本件行為が幻覚、幻想等に影響されて引き起こされたことを窺わせる証拠はなく、原告に対する病院での診断結果も、本件経緯5(二)、6(三)のとおり、主に人格障害というもので、事理弁識能力の欠如が疑われるほどに重い精神疾患ではないと考えられることなどからすれば、原告には事理弁識能力があったと認められるから、本件行為について精神疾患によって惹起された可能性をもって直ちに就業規則五九条の適用を否定することはできない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
(二) また、原告は、本件行為は原告の精神疾患によって惹起された可能性があるのであるから専ら就業規則一九条一項四号(「精神または身体の障害により業務に大いなる支障が生ずると会社が判定したとき」)による解雇の問題として処理すべきであって、就業規則六〇条八号、五九条各号を適用することはできない旨主張する。
しかし、就業規則一六条一項と就業規則一九条一項四号は、それぞれ別個に解雇事由を定めたものであるから、就業規則一六条一号に優先して就業規則一九条一項四号の規定を適用しなければならないとはいえない。
したがって、原告の右主張も理由がない。
(三) さらに、原告は、懲戒解雇事由に該当することを理由として普通解雇をする場合には、懲戒解雇に必要とされる手続を履践することが必要であるが、原告の解雇にあたり、被告は懲戒解雇に必要とされる手続を履践していないのであるから、就業規則一六条一号に基づく本件解雇には重大な手続的瑕疵がある旨主張する。
しかし、本件解雇は、懲戒解雇事由に該当することを理由として普通解雇をしたものではなく、普通解雇事由について規定した就業規則一六条一号に該当することを理由として普通解雇をしたものであるから、原告の主張のような手続的瑕疵はない。
2 解雇権の濫用について
(一) 原告は、被告において本件行為が原告の精神疾患による可能性があることを認識しながら本件解雇にあたって専門医の診断を経ていない旨主張するが、原告から被告に対し、本件解雇の段階において、既に六通の専門医の診断書が提出されていたこと(乙四ないし九)や、原告は、平成元年六月ころ及び九月ころに、いずれも専門医による治療を受けることを拒否していたものであり、本件解雇の段階にあっても専門医の診断を受けることに同意したものとは考えられないこと(本経緯11)からすれば、原告が右主張する点をもって解雇権の濫用を基礎付ける事情とすることはできない。
(二) また、原告は、本件業務命令が違法である旨主張するが、本件業務命令が違法でないことは、既に前記第三の一の1で説示したとおりである。
(三) また、原告は、本件解雇は、被告においてわずか一時間位で決裁したものであり、原告について解雇事由、解雇手続が吟味されたとは思われない旨主張するが、原告が右主張する事情だけでは、解雇事由、解雇手続が吟味されなかったものということはできない。
(四) さらに、原告は、被告においてはその規模から考えて当然具備すべき精神健康管理についての体制を欠如していた旨主張する。
確かに、弁論の全趣旨によれば、被告は従業員の精神健康管理について特に具体的な対策をとっていないことが認められ、また証拠(甲一七)によれば、先進的な会社においては、精神健康管理のための組織と機構を設けた上で、精神健康管理のための具体的な対策をとっていることが認められる。
しかし、被告のようなかなりの規模の会社であれば、精神健康管理のための組織と機構を持ち、精神健康管理のための具体的な対策をとることが当然であるとする社会通念が成立しているとまではいうことができないから、原告が右主張する点をもって解雇権の濫用を基礎付ける事情とすることはできない。
(五) そして、原告は、昭和五九年七月ころから平成二年六月ころまでの約六年間にわたって、就業規則五九条三号、五号、六号、九号に該当する行為を繰り返し行ってきていること(前記第三の一)、被告は、昭和六二年三月一九日から同年九月五日までの原告のナイトホスピタルに協力するなど、原告の治療に協力的な態度をとっていること(本件経緯6)、被告は、平成元年六月二〇日、同年九月七日、同月一八日に、原告の親族に対して、専門医の治療を受けるように原告を説得してほしいと依頼しており、原告が治療を受けられるようにするため、被告として適切な行動をとっていること(同経緯11。なお、甲一四号証の一一頁には、「職場において分裂病が疑われる者がいる時、原則として、家族ないし保護者に連絡し、職場での異常行動などについて、精神衛生的立場から充分に説明し、家族ないし保護者の者が責任をもって病者を専門医に受診させるようにすることが、最も適切な処置であると思う。」との記載があり、治療を受けさせるために親族に依頼することは適切な行動であると認められる。)からすれば、被告は原告が治療を受けた上で正常な勤務をすることができるように協力してきたものであるということができる。
(六) 以上によれば、本件解雇が解雇権の濫用であるとはいえない。
第四 結論
よって、原告の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官熊田士朗 裁判官山本剛史 裁判官西理香は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官熊田士朗)
別紙未払い賃金計算書<省略>